Masaki Hirokawa

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【 追 悼 】
 
 訃報が飛び込んできました。2010年、1月12日、北米最北端のエスキモーの村、バローで大変お世話になったアンブローズ・シニアが天に召されました。
 フランク安田の歴史を追っていた私は、二度目のユーコン川を下ったあと、フランク安田が最初にたどり着いた村、バローに行かなければならないと思いました。しかし、知り合いもいませんし、テントを張るには、もう極寒の冬を迎えようとしていた季節でした。
 そんな私を家に招き入れ、温かいベッドと、食事を与えてくれたのが、フランク安田と共に、移住の旅をしたエスキモーの子孫アンブローズだったのです。
 彼ら家族は、フランク安田と共に、ビーバー村を建設し発展に尽力しました。しかし、故郷は遠い北極海です。親族を残してきた彼らは、ゴールドラッシュが終わり、時代が近代化するにあたり、バローに戻って来たのです。
 フランク安田の歴史を追っていた私にとっては、フランクと共に旅をし、そして故郷バローに戻ってきたエスキモーの家族と知り合うということは、幸運としか言いようがありません。
 私の、フランク安田を追う旅は、彼らとの出会いで、完結を迎えることになったのです。
 その見聞の旅を、原稿に書き下ろしましたが、実は、出版とまで漕ぎ付けることができませんでした。

 アンブローズが伝えたかったこと、アンブローズが教えてくれたこと、私の心の中にだけに納めるのではなく、多くの人たちに伝えていきたいと思っています。安らかに、アンブローズ、ありがとう、とても感謝しています。
(アンブローズと共に、北米大陸最北端の地点、ポイントバローに立つ)
 
(鯨の髭のクラフトアーティストでもあったアンブローズは、長い髭一枚を丁寧に磨き、私にプレゼントしてくれました。ワシントン条約によって、日本には持って帰れませんが、アラスカで大切に保管しています)
 
(セイウチの肉をさばいているアンブローズ。このあと、二人でたらふくセイウチの肉を食べ、「うっぷ!」っと、二人でお腹を抱えて苦しみました。食べ過ぎでした。)
 
アンブローズと妻のジュディーは、私を訪ねるために、日本に行くことを楽しみにしていました。娘たちも、その夢を果たすために一生懸命働いていました。
 私も、再び、遠く離れた最北の彼らに会いに行けるように、必死で身を立てようと思っていましたが、私の力が及ばず、再会することなく、訃報を受け取ることになったことが、本当に残念でなりません。
本当に、不甲斐無いです・・・。